長い歴史の中で紡がれてきた日本各地の工芸。その道に従事し、独自の視点で創作の道を探究している作り手と、全国の工房を訪ねてまわる私たちの取材の旅がリンクする「Kougei Journey(コウゲイ ジャーニー)」。第一回目は長崎県波佐見で活躍する陶芸ユニット「studio wani」の綿島健一郎さんとミリアムさん夫妻。2024年、新しい工房への移転をきっかけにガス窯から電気窯へと移行を決断。生産体制の大きな変化の真っ只中にあります。そこにはかねてから憂慮していた環境への問題意識がありました。これからの時代の作り手として、大きな一歩を踏み出したお二人。そこに至るまでの想いを伺いました。
綿島健一郎
1982年、熊本県八代市生まれ。 大学中退後、カフェやイタリアンレストランなど飲食店での仕事を経て、有田窯業大学校へ。卒業後は波佐見「光春窯」にて経験を積む。2017年に妻ミリアムさんと「studio wani」を設立。
綿島ミリアム
1983年、ドイツ出身。学校の陶芸部に入ったことをきっかけに陶芸の道を志すようになる。ドイツの美術大学でプロダクトデザインを学んだのちに来日。波佐見「陶房 青」での修行を経て独立。「studio wani」では恐竜シリーズなどの絵付けも担当。5歳と2歳の2児の母でもある。
有田にもほど近い、長崎県波佐見町折敷瀬郷地区の小高い丘の上に「studio wani」の工房はある。周囲は畑やいくつかの窯元があり、のどかな時間が流れている。
取材に到着した私たちを笑顔で迎えてくれたミリアムさん。写真は工房の上の庭で育てている八朔をちょうど運んでいるところ。お土産にたくさんいただきました。
対照的だった陶芸家への道。
──おふたりが陶芸の道に進んだきっかけから教えてください。
綿島:僕は熊本の八代市出身です。親が薬剤師だったこともあり、神戸薬科大学に進んだのですが、何をやりたいのかわからなくなってしまって中退しました。そのあとは、カフェやイタリアンレストラン、コールセンターなどで働いていたのですが、このままではダメだなと思って悩んでいました。29歳の時ですね。そんな時に、親から有田の窯業学校を勧められたんです。その頃は自暴自棄というかすべてがどうでもよくなっていたし、大学も中退しているから最終学歴を卒業に塗り替えられればいいかなというぐらいの、すごく軽いノリでした。
──ご両親のお勧めだったんですね。
綿島:両親は前から思っていたみたいです。僕は元々手先が器用だし、化学にも強い方だったので陶芸に向いているんじゃないかと。
屋号の「studio wani」の由来は「wa2」で綿島(ワタジマ)が2人という意味から。「僕がベースを整える側で、ミリアムが羽ばたいていく、そんなイメージです(笑)」と健一郎さん。
──ミリアムさんはドイツ出身ですよね。
ミリアム:わたしはドイツにいる頃から陶芸家を目指していました。ドイツでは珍しく学校に陶芸部があったので、そこで楽しさに目覚めて。18歳で学校を卒業したあとは韓国人の陶芸家の先生のもとで三年間学びました。そこでアジアへの興味が湧いてきていつか行ってみたいと思うようになったのです。でもその時は先生から何年も弟子入りしてやるのは大変だから大学に進んだほうがいいと勧められて、ドイツの美術大学に入りました。専攻はプロダクトデザインでしたが、まわりはヨーロッパ的な洗練されたカッコ良いデザインを目指す人が多かった中で、わたしはろくろだったり作ること、技術が好きだったので、違うなと感じていたんです。そんな時に、有田との交換留学制度があったので日本に来ました。
──期間はどのくらいだったのですか?
ミリアム:半年でドイツに戻らないといけなくなったのですが、日本語も難しいし、英語も通じないので、結局先生や同級生ともコミュニケーションを取れずに帰らないといけなくてしまって。それが心に残っていたんです。もっと喋りたかったし、いろいろ聞きたかったのに、何にも聞けず終わってしまったなと。だから「日本でもう一度勉強したい」と思い、大学卒業後にあらためて日本に来ました。
古くからある陶芸の技法の一つである「和紙染め」。ミリアムさんは和紙でなくティッシュで代用。染めたい箇所に切り取ったティッシュを置き、その上から筆で色付けしていく。その部分だけ色が染み込み絵染めされていく。
波佐見で出会い、結婚そして独立へ。
──そしてお二人が出会うことになるわけですね。
綿島:ぼくが働いていた「光春窯」とミリアムがいた「陶房 青」は同じ中尾山にある窯元で距離も近かったんです。共通の知り合いも多かったし、当時は有田の学校にも通いながらだったので、そこにミリアムと同じようにドイツから交換留学生の子が来ていて、その子の面倒を僕がみていたんです。
ミリアム:わたしは工房の近くの社宅に住んでいたので、よくその子を連れてきてくれて。優しい人だなと思っていました(笑)。それで仲良くなりました。
──そして結婚されて、2017年に「studio wani」を設立されますが、これまでの話伺っていると、お二人の陶芸の世界への入り方って全然違いますよね。
綿島:僕の中では、低い方低い方に流れて、行き着いた先がこの道で。入り方は全然違いましたけど、僕も好きだしやっていて楽しいですよ。最初は屋号もどうしようか考えました。今みたいな2人で1つにするか、それとも別々にするか。でも、そうするとミリアムは売れて、僕はたぶん売れない。取材もミリアムばかりで、僕はただの日本人だからこない。そんな家庭内格差が生じかねないから、 2人で一緒にしました(笑)。
屋号は○○窯にはしたくなかったんです。焼き物だけの仕事にとどまりたくなかったし、もしかしたらグローバルに活躍できるようになるかもしれない。だからスタジオにしました。
ミリアム:海外では工房のことをスタジオというので、いいなと思って。でも最初は写真館ですか?ってよく聞かれましたね(笑)。
一時は現場から離れて経営に集中しようと考えたこともあったと言う健一郎さん。いまは大好きなラジオを聴きながらの作業が楽しいそう。お気に入りは「オードリーのオールナイトニッポン」。
──独立については当初から計画されていたのですか?
リアム:結婚することになって、将来子供ができたときのことを考えたら自由に動ける環境の方が良いと思いました。
綿島:金銭的にも子どもたちを大学まで出せるのかなと。今のまま働いていたのではそれも難しいのかなと思いました。だったら独立した方が自分たちの時間もできるし、好きなことができる。もしかしたらゆとりある生活になるかもしれない。希望の光はあるのかなと思ったんです。
伝統よりも新しさ。ふたりを助ける自由な風土。
──波佐見という焼き物の歴史のある町で、新たに始める難しさみたいなことを感じることはなかったですか?
綿島:となりの有田は伝統ある美術品のマーケットですが、波佐見は日常の雑器。一般家庭向けのものなので、流行に合わせて変えていかないといけない。だからこそ波佐見は感度が高いですし、変化していくことには慣れていると思います。都会から誰かが来ても、 受け入れないわけではなくて、そこから何かを吸収しよう。何か生かせるものがないかという感じです。閉鎖的な人もいますけど、変化に対して許容している方が 一定数いるから、外から来た私たちも暮らしやすいですね。
ミリアム:そもそも波佐見焼というブランドができたのが最近ですよね。それまでは全部有田焼でしたから。2004年の牛肉の産地偽装問題の影響を受けてからなので、まだ二十年くらいしかたってない。
綿島:波佐見焼の定義も定まってなくて、波佐見にいる人間が焼いたらとか、波佐見で焼いたらとか、どちらでも良いみたいです。
日本で陶芸の仕事を始めてから10年以上経つミリアムさん。絵付けのイメージが強いが、一番やりたいのは今でもろくろを使った作業だそう。
──土とかも限定されてないんですか?
綿島:ないです。有田も波佐見も熊本の天草から採れる土を使っていますし、今でも有田焼の窯元でも波佐見の生地屋さんに外注してます。
ミリアム:有田と波佐見は量産の分業制が確立しているのです。土の業者さん、生地屋さん、そして生地を作るために型がいるから型屋さんがいて、間に焼くだけの素焼屋さんもいて。その素焼きしたものが窯元に行って、絵付けの外注もあります。釉薬を作る釉薬屋さんもいて、絵の具屋さんもあるし、焼いたばかりだと高台がガサガサするから、そこを研磨する高台刷りの職人さんもいたり。
そんな感じの波佐見だからなんでも自由。私たちも波佐見焼と言ってもいいし、 言わなくてもいい。なので「日常使いで、使いやすい」といった波佐見焼の好きなところは、私たちも取り入れていますし、昔のものを見て染付の色合いとかインスピレーションをもらっている面もあります。
綿島:伝統を守らなきゃいけないみたいな空気ではないです。それよりも、新しいもの、面白いものを作りたいと思っている方が多いですね。
現在は健一郎さん、ミリアムさんに加えスタッフ1名の3人体制。新しい工房は白が基調のギャラリーのような雰囲気。時には作ったものを見せ合って意見を出し合うことも。
代名詞となった「恐竜」シリーズ。
──そういった意味では人気の「DINOSAURシリーズ」もユニークなアイデアですよね。
綿島:独立して、まずはしっかり売れるものを作らないといけないよねと二人で話していた中でうまれたのがこの恐竜シリーズでした。といっても、ミリアムが勝手に作って、勝手に焼き上がってたんですけど(笑)。僕は最初は全然ピンとこなかったし、売れてなかったのですが、いろいろ描き込むようになってから人気が出ましたね。
ミリアム:わたしが古伊万里風の物がつくりたくて、何か古いモチーフを探していたときに恐竜にたどり着いたんです。
綿島:古伊万里の“古い”と恐竜の“古い”を合わせるというコンセプトが良かったんだと思います。
入荷するとすぐに完売してしまうほど人気の「DINOSAURシリーズ」。「わたしは古伊万里に恋に落ちました」と語るほど、古伊万里の雰囲気が大好きなミリアムさんが考案した。恐竜の絵もリアルさを追求するのではなく、リズミカルな線で親しみやすさを意識している。
──恐竜の絵はミリアムさんが一つ一つ描いているんですよね。
ミリアム:描きすぎて、もう腕が痛いんです(笑)。
綿島:僕たちとしては、ひとつひとつ手作りで、いわゆる量産の波佐見焼ではないということでこれまでやってきたのですが、量産できるような商品も今後は考えていかなきゃいけないのかなと悩んでいるところではあります。
── 工房も移転されましたが、そういったことも理由になっているのでしょうか。
綿島:前の工房は、夏は暑い、冬は寒い。少し風が吹けば埃だらけみたいな状況で。そこを買い取って、リフォームするという手もあったのですが、なかなか話も進まなかったのでもう自分で建てるしかないと。
ミリアム:私たちはスタートは遅いし、40代になっていて。子どもが大学を出るとなったら50代ですね。 じゃあ50代になって、あの暑くて寒い工房で作業できるか、と考えると厳しい。ずっと仕事を続けられるような快適な環境を作らないといけないなと思ったんです。
環境に優しいものづくり。電気窯への大きな転換。
──その新しい工房で新たにどんなことに取り組んでいきたいと思ってらっしゃいますか?
ミリアム:これまでガス窯を使っていたのですが、環境問題として考えたときに、化石燃料を使うガス窯をずっと使い続けて良いのか。ずっと悩んでいたんです。なのでこの移転をきっかけにガス窯を卒業して電気窯へと移行しました。私たちにとってはとてもリスクのある決断でした。
綿島:今まではガス窯の還元焼成(注1)でしか焼いていなかったのですが、電気窯で還元焼成を繰り返すと電熱線の酸化皮膜がなくなって切れてしまうため、これからは酸化焼成(注2)にシフトしなければならないんです。
これまでメインで販売していたうつわは還元焼成でしか作ってなかったので、それが酸化焼成になると色味や雰囲気が大きく変わってしまいます。そのために酸化焼成に適した絵柄や形状に変えていかなければならないのです。還元焼成で焼ける回数が減るので、人気のある染付の「DINOSAURシリーズ」も作れる回数が減ってしまう。簡単に言うと、これまでのほとんど全ての商品を0にして、酸化焼成に適した新商品だけで軌道に乗せなければいけなくなりました。
工房も新築して返済もあるのに、新商品が売れなかったら、 自分がどうこうなるだけじゃなくて、家族とかスタッフの働き口とか。全部考えると、うわーってなります(笑)。自分たちで決めたことですがリスクの取り方が難しいんです。
(注1)還元焼成とは、窯で焼く時に酸素を制限しながら焼いていく方法。うつわの中の酸素原子を奪いながら燃焼していくため、磁器が白く焼き上がる。
(注2)酸化焼成とは、窯で焼く時に酸素を十分に吸わせて焼く方法。酸素を十分に吸っているのでキレイなクリアな焼き上がりが特徴。
ろくろを挽いた時に出る削り粉を集め再生して作っているしのぎ(数種類のカンナを使い、素地の表面を削って作る装飾のこと)シリーズ。こちらも酸化焼成で作るようになるため、土や釉薬の選定をし直している。
──やはりガス窯だと環境に良くないのですか?
綿島:ガス窯は化石燃料を使用しますし、還元焼成では一酸化炭素を排出します。地球環境を犠牲にしながら自分たちのつくりたいものを作ることに罪悪感が付き纏ってしまうんです。
ミリアム:波佐見にいるからチャレンジできることだと思うんです。もし、本当に困った場合は、窯元がたくさんあるから、ちょっとガス窯を貸してもらえないかってお願いはできる。そういうセーフティーネットはあるのですが、やはり夢があるからやるわけですよね。わたしたちは規模は小さいですけど、小さいからこそ環境に優しいものづくりができることを見せたいのです 。
わたしたちの作るものってもしかしたら誰もいらないんじゃないか。必要とされているから作っているわけではなく、自分が作りたいから作っている。それって、趣味といえば趣味。仕事なんですけども、やりたくてやっていることで、環境に負担をかけるのがいいのか。それはよくないなとずっと思っていて、子どもが産まれてから、より一層そういう気持ちが強くなりました。
自分たちが移転や窯を買うことは人生で1度しかできないことです。これから先、どこかのタイミングでガス窯はやめましょうと言う社会にもなると思うので、それだったら1歩先にこういうやり方もありますよってみなさんに見せられるようになりたいなと思ったんです。
移転に伴い、新たに2基の電気窯を導入した。窯、工房、自宅で使う電気はすべて自然エネルギー100%を提供している会社から買っている。「そこで買えば、その利益はまた自然エネルギーの発電施設に使う仕組みになっているので、使えば使うほど、自然エネルギーの活用に貢献できます」とミリアムさん。
自分の作るものに責任を持つ時代に。
──そういう意識を持ってやってらっしゃる方はあまりいないですか?
ミリアム:いないと思いますね。
綿島:B級品とか気に入らないものを割る人もいるじゃないですか。焼き物って、焼いたら二度と土に還らないから、だから縄文土器とか出土されるわけですよね。 焼いてダメだったから、ポイってするのはちょっと違うなと思っていて。扱えるって思ってくれる人に使ってもらえたらそれでよいかなと思うので、自分たちはB級品も販売していますが、これからは環境に対して作る人の責任も考えていかなければいけない時代だと思っています。
──これから作ってみたいもの、考えているものはありますか?
ミリアム:恐竜の絵が入った子ども用食器は今までは還元焼成だったので、そのまま作るのは難しくなってしまいました。だから電気窯であらためて子ども用食器に取り組みたいと思っています。
綿島:私たちはしっかり子どものための食器を作りたい。例えば子どもの成長に合わせて、大きさの適した食器セットを作るとか、親の目線もまじえながら考えていきたいと思っています。子どもたちの未来のために電気窯にしたわけですから、新たな軸にしていきたいですね。
これまでガス窯で作っていた子ども用食器。今後、酸化焼成で作るようになると色味や雰囲気が大きく変わる。
現在試作を続けている電気窯で作る子ども用食器。「子どもがいるとわかると思うのですが、5歳までと5歳からで分けようかなと思っています。あとは高台を広くして安定感が出るようにしたい」とミリアムさん。子育てしている親目線で次々とアイデアが湧いてくる。
──最後にお二人は一番この仕事をしていて楽しいと思ったり、やりがいを感じるのはどんなときですか?
ミリアム:私は単純にろくろを引いて、ものを作れることが楽しいです。絵を描くことは大変だけど(笑)。
綿島:何も考えずに、ラジオを聞きながらろくろできるのがすごく楽しいです。 普通の社会人だったら、仕事しながら好きなラジオとか聞けないじゃないですか。 自分の仕事をしてるから、いいじゃないかって。誰にも怒られることもないし、それが良いですね。
すごくカッコ良いうつわが作れた!という喜びもないわけじゃないんですけど、そういうものはお客さまのもとに行くわけで。自分の手元には残らないですからね。
「自分の時間を満足できる」ということが今の自分には一番で。
なんだか、全然かっこいい感じじゃなくて、すみません(笑)。
工房の上にある大きな八朔の木の下で。できるだけお子さんとの時間を作りたいから、イベントへの出展もいまはほとんどしていない。大切なお子さんの未来のために、大きな一歩を踏み出したお二人。IEGNIMでは今後「studio wani」さんとの企画展など予定しておりますのでそちらもお楽しみに。
写真/大崎 安芸路(Roaster) 取材・文/阿久澤 慎吾(Roaster)