有田の陶芸家・西隆行が考える、 SNSマーケティングと個人作家の可能性。

有田の陶芸家・西隆行が考える、 SNSマーケティングと個人作家の可能性。

長い歴史の中で紡がれてきた日本各地の工芸。その道に従事し、独自の視点で創作の道を探究している作り手と、全国の工房を訪ねてまわる私たちの取材の旅がリンクする「Kougei Journey(コウゲイ ジャーニー)」。第2回は焼きものの町、佐賀県有田町で活躍する西隆行さん。“色釉の魔術師”との異名をとる西さんが作る“バズる”うつわはどのように生まれたのか。そして、これからの時代の陶芸家の在り方に迫る。

西 隆行
1984年福岡県行橋市生まれ。福岡大学工学部建築学科卒業後、佐賀県立有田窯業大学校専門課程陶磁器科入学。卒業後は、同学校で助手を二年間務めたのち、2013年に有田町の独立支援工房「赤絵座」の第一期生として作陶を始める。2016年より現在の地、有田町南山に工房を構える。


窯業大学校を卒業し、助手を務め、「赤絵座」での独立など有田で実績を着実に積み上げてきた西さん。有田を代表する若手作家として町からの期待も高い。

 

きっかけは大学時代の陶芸体験。

──まずは経歴を伺ってもよろしいでしょうか?

 有田に来たのは15年ほど前です。窯業大学校で学んだのち、そのまま助手を二年間務めました。助手をしている間は、佐賀大学の唐津焼きの人材を育成するプロジェクトに参加したり、有田の現代の名工である奥川俊右ェ門先生のろくろ教室に通ったりしながら徐々に活動していました。それから有田町に「赤絵座」という独立支援工房ができましたので一期生としてそちらで三年間実績を作り、現在の場所に工房を構えました。

 ──もともと有田のご出身ではないのですね?

 福岡の行橋市出身です。大学時代にサークル活動で陶芸をしていたのですが、自分に向いている気がしまして。建築学部だったのですが、建築の仕事には就かずに有田の窯業大学校に入りました。特に場所や○○焼きとかにこだわりはなかったんです。当時は知識もありませんでしたし。なので、いろいろ調べている中で、地元から近い有田の学校を選びました。

 ──窯業大学校ではいろいろなつながりもできましたか?

 同期には作家として活躍している人が結構います。人気なのは福岡の佐藤もも子さん、糸島「Pebble Ceramic Design Studio」の石原亮太さん、大分の吉野千晴さん、ヨシノヒトシさんとかですね。同じ有田で言えば、照井壮さんや川口武亮さんが自分が学生の頃に若手として活躍している世代でしたが、その照井さんたちが現在は50代になられて大御所作家として活動されているので。そのかわりに自分たちがいま若手と言われる世代になってきたところです。

 ──西さんは○○窯ではなくて西隆行という個人名で活動してらっしゃいますよね。

 特にこだわりがあるわけではないのですが、個人作家で窯名をつけてしまうと2重に覚えてもらわないといけなくなる。それが面倒かなと。他にスタッフがいるなら別ですが、1人でやる以上に 仕事を増やす気もないので今のままで良いかなと思っています。


黙々と土をこねる西さん。休みたいときに休めて、働きたいときに働ける。自分一人で完結する今のスタイルが心地よいという。

──1人でやるというスタンスがちょうどいいのですね。

 そうですね。自分は団体行動が苦手だったので、1人でやれる陶芸が向いてるなと思ってこの道に進んだんです。原料を買ってきて、自分でこねて、売るところまで。極力1人でやれる範囲内でやりたいと思っています。

 

 焼きものの町だからこその支援。

 ──磁器発祥の地である有田という町で活動していることについてはどのように感じていらっしゃいますか?

 困ったことがあったら相談できるのでとても助けていただいています。例えば釉薬や窯のトラブルがあっても、窯業技術センターに行けば専門の方がいらっしゃるので教えてもらえますし。原料を買うにも、近くで買えるので便利です。あとは、役場や商工会議所も焼きものに対する支援が厚いです。私が使っていた「赤絵座」も町の施設ですし、展示会をやる場合も、会場代に使える補助金があったり。他の町だと、そういう支援も全然ないと思うので。 焼きものの町だからこそ、行政や商工会議所も個人の作家さんの相手も慣れているし、理解があるというのは実感しています。有田のみなさんからよくしてもらって、今がある感じですね。

 ──伝統がある町だからこその難しさというものは感じないですか?

 一昔前だと、例えば商社さんを通さないといけないと言ったようなしがらみもあったようですが、自分が来た頃はバブルも終わって、リーマンショックとかもあって、窯元もたくさん潰れてしまい、有田焼の産業規模が最盛期の10分の1のような状況でした。ですから若い人や外からも積極的に来てもらおうという時代だったので、行政やまわりの窯元さんにも受け入れていただけました。今でも難しさを感じることはないですね。

 

多くの窯跡が残る有田町の南山地区にある工房。この場所に構えて8年目。手狭にもなってきたので、有田周辺で新しい場所を探している。

──西さんより下の世代でいらっしゃるんですか?

 もともと有田は若手作家が少ないんです。笠間(茨城)とか、 瀬戸(愛知)は若手の陶芸家がたくさんいるのですが。やはり東京や大阪のような大都市に近いと、個別のお客さんも付きやすいですし。九州は焼き物の産地は多いですが、若手作家は少ないと思います。有田についても「赤絵座」が定員割れをしているような状況ですから。

 

釉薬の実験から生まれた人気シリーズ。

 ──そんな中で、西さんは「雫(しずく)シリーズ」が人気を博しています。どういった経緯で誕生したのでしょうか?

 窯業大学校の時代に、釉薬の実験をよくしていたんですね。釉薬が流れている表情が好きで、面白そうだなと思いまして。しかし、それ自体は特殊な技法でも、新しいアイデアでもないんです。昔からある斑唐津(まだらからづ)とかもそうですよね。要は、磁器の土と青磁の釉薬の表情の見せ方の組み合わせを自分なりにアレンジしただけで、特別新しい作風とか美術とかではありません。


雫グラス丸型(大)径9cm 高さ9cm。使い勝手がよく人気も高い丸形のグラスは小、中、大の3サイズ展開。

シルエットと釉薬の流れが美しいデザートカップは雫シリーズを象徴するアイテム。 径約10㎝ 高さ911cm。一点一点手作りのため釉薬の色の濃淡、流れ具合はすべて異なる。 

──そういうアイデアは、どんなことから生まれてくるんですか?

 作業の中で見つけることが多いです。ろくろをしてる中で、「もっとこうしたら面白いんじゃないか」とか。例えば釉薬も調合してく中で、「これを組み合わせると面白い表情になるんじゃないか」とか。それで失敗したり、いろいろ実験していく中で思いがけない結果が出ると、それを作品作りに反映していく感じですね。

 今は忙しくて実験する機会がないのですが、暇なときや売れないときは、新しい作品を作ろうと思ってたくさん実験して、毎月試作していました。今は注文が溜まっていて、毎日その注文をこなすので手一杯。ずっと同じ「雫」ばかりを作っていると、新しいアイデアが出てこなくなるという悪循環なので。もっと時間を作りたいと思っています。

 忙しいと、忙しさに追われて楽しむ時間がなくなってしまうので。生活のためにも売れないといけないんですけど、なかなかそこのバランスが、生活が豊かになればなるほど創作意欲がなくなっていくという。 暇であればあるほどどうにかしなきゃで、創作意欲もあるし試作もするので、作品はいろいろ新しいのを思いつく。その良いバランスを今探してるところですね。


窯業大学校時代の釉薬の実験データ。さまざまな原料の組み合わせ、割合を変えることでどんな色が出るか記録していた。この実験から「雫」シリーズの特徴である青い釉薬も生まれた。

 

素材の特性や質感を引き出すものづくり。

──ちなみに作陶されていて1番楽しいとか好きだと思うのはどんなときですか?

ろくろを引いてるときは楽しいです。焼き上げはすごく嫌か、すごくうれしいかのどちらか。焼きは 失敗も多いし、思い通りにならなくてイライラするときもあれば、すごく良くできてうれしいときもあるので。その間の、削ったり釉薬かけたりは面倒臭いです(笑)。

 ──面倒臭いですか(笑)?

そうですね。釉薬をかけたりする作業は、誰かにやってもらいたいのですが、任せられない部分も多いので。それに任せるのも面倒だし、だから一人でやっているのですが(笑)。

 ──釉薬を考えたり作ったりするのは?

原料の組み合わせや割合を変えたり、焼き方と土の組み合わせでも変わってくるので、無限にある中から自分なりのパターンを探す作業は楽しいですね。

 ──どんなところにこだわって作陶されているんですか?

 素材の特性や質感を表現することですね。(磁器の産地である)有田でやっていますから、磁器の土の良さを出すために、荒々しい感じよりは滑らかなラインや質感で作った方が合うと思っています。そこに釉薬で色をつけて表情を出す。素材の特性を考えて、その魅力を惹きたたせるものづくりが自分の作風なのかと思っています。

 アートはコンセプトがまずあって、それを表現するために素材を探すじゃないですか。工芸はまず素材がある上で、どう表現するか考えていくもの。もともと窯変した焼きものの表情だったり、素材感が好きで始めたので、この(ものづくりの)工程が自分には向いていると思っています。

 

工房内には作成途中の焼き物が並ぶ。現在は「雫」シリーズが中心だが、定番アイテムとして小鉢や皿などもラインナップされている。

 

釉薬の流れが決まるまで焼き続ける。

 ──「雫」は何回くらい焼かれるんですか?

 有田の窯元はだいたい1300℃の還元という焼き方なんですが、それから10〜20℃低い温度で焼いています。釉薬の溶ける温度と生地の焼き締まる温度のバランスで、溶けないといけないし、生地が焼き締まらなくてもいけないし、流れ過ぎてもいけないので、ちょうど良いところを探して焼いていく感じです。

 釉薬が一回で綺麗に流れればいいのですが、一回で流そうとすると、流れすぎてしまって、下まで流れてしまったりするので。少しずつ何度も焼いて、ちょうどいい感じになるまで焼き続ける。素焼きとは別に大体2〜3回焼いています。

 他の人に比べて絵を描いたりすることはないのですが、何度も焼かないといけないのでその分、労力が必要なんです。

 


工房に併設したガレージ内にあるガス窯で焼いていく。方法は他の有田の窯元と同様に還元焼成。

ガス窯の窓から除いた「雫」シリーズ。これは、1回目の焼きが終わった後。ここから釉薬の流れを調整しながら、2回、3回と焼いていく。

 

SNSにハマった「雫」のビジュアル。

 ──「雫」が人気となったきっかけは何だったんですか?

 SNSですね。焼きものの流れで言うと、戦後の陶芸ブームの頃は、日本伝統工芸展などで入選すると百貨店から声がかかって売れるという流れがありました。それが終わりだんだん焼き物が売れなくなって来ると、その後に長野県松本市の「クラフトフェアまつもと」などのクラフトフェアのブームが来て、そこに出展できればギャラリーの人が見つけてくれて、仕事が増えるみたいな流れが生まれた。それが自分が焼きものを始めたくらいの頃でした。そしてそのクラフトフェアブームも落ち着いてきたところで、SNSブームが来て。 インスタも、なにか繋がればいいなと思って始めたくらいだったのですが、「雫」のビジュアルとインスタが上手くはまってくれた。運が良かったというか、うまいこと次の波に初動で乗れたなとは思っています。

 ──西さんの作品を購入される方はどのぐらいの世代の方が多いですか?

だいたい2540歳の女性ですね。狙っていたわけではないですが、とても良い層に買っていただけていると思います。ただリピーターは少ないんです。「雫」は絵柄を変えたりできるわけではないですし、食器として揃えるというよりは、コレクターのような感じで1個や2個嗜好品として買っていただく方が多い印象です。なので、常に新規のお客さま を獲得することは意識していて、フォロワーも毎年2000人ずつぐらい増えているので、その増えた分で減った分を補う感じにはできていると思います。大体、年に12回ちょっとバズって、フォロワーがばっと増えるとその年も大丈夫かなみたいなのは予想がつくんです(笑)。

──どういう投稿でバズるんですか?

 インスタやXで投稿すると、たまに写真がハマってツイートとされて、フォロワーが一気に増えて、何万いいねとかついたりするんです。SNSのアルゴリズムにうまくハマったりいろいろな要因はあると思うのですがわからないです。


映画好きな西さん。これまでは家で見る派だったが今年からは月1回は映画館で見るように決めているそう。陶芸作家の照井壮さんとはよく会って映画談義をしている。

 

個人作家にとって有利な時代に。

 ──お話を伺っていて、SNSをこれだけ意識している陶芸家の方もなかなか珍しいと思いますし、単に写真映えを考えるだけでなくて、マーケティングの面でしっかり分析されている。そこが西さんの強みかなと感じました。

自分は理屈っぽい性格なので、芸術家のように感性で作品が全てというよりは論理立てて物事を考えたいタイプなんです。

 天才肌で作品はすごく良いのに、マーケティングが下手で売れてない人もたくさんいると思いますし。逆に作品が微妙でもマーケティングが上手いから売れている人もいる。だから自分よりも良い作品を作っている方はたくさんいらっしゃると思うのですが、売るということに関してはSNSがあったからこそ、自分は今でも続けていられるのだと思っています。そう考えると時代が良かったんですね。しかしSNSも飽和状態にだんだんなってきていて、次がもしかしたらあるのか。先のことはわからないですけど、そこは意識はしています。

── 先ほど有田でも下の世代の作り手がいないとおっしゃっていましたが、これからの作り手に伝えたいことなどありますか?

 焼きものを産業としてやっている人は別ですが、いわゆる個人作家にとってはとても有利な時代だと思うんです。AIが登場しだして、人間の仕事がなくなると言われていますが、その中に陶芸家は含まれてないんですね。結局、産業革命で大量に機械で作れるようになっても、陶芸家が作った作品は売れているじゃないですか。結局、誰が作ったとか、どういうストーリーで作ったみたいなところに人は価値を感じるから。そしてそういうものに付加価値をつけられる時代になっているので。作家という仕事はなくならないと思います。なので、産業としては厳しい面はあるかもしれないですが、陶芸家にとってはやりやすい時代だと思います。SNSで自分で発信できますし、昔は商社さんにお願いしないとできなかった、流通も個人でできるので。やりたいことをやれるツールが増えているし、自分でブランディングもできる時代ですから。

──その辺りは意識して投稿されているんですか?

一応、こういうのかな? というのはありますが。それでも1度バズったから、次もバズるわけではないので。角度とか変えて投稿はしていますがわからないんです。ただ他の焼きものに比べたら「雫」はSNS映えする、バズりやすいとは思っています。

──インスタとXで使い分けているんですか

インスタをメインで使っていたのですが、インスタへの依存が大きいなと思いまして。もしインスタのアカウントをbanされたり、乗っ取られたら、仕事がなくってしまうと思ったんですね。そのリスクを考えて、Xも始めた感じです。

 自分はギャラリーと組んだり、どこかにはまってるわけではないのでSNSでのマーケティングが非常に重要なんです。そのSNSのアカウントがbanされてしまったら、仕事が一気になくなってしまうし、宣伝もできなくなるので。

 

人気の「雫」シリーズは一年先まで注文が溜まっているそう。現在は個人からの注文は受け付けていないため、毎年秋に企画している渋谷ヒカリエでの個展と陶器市が購入できる機会となる。

 ──今後はどんな展望をお持ちですか。

 現在は「雫」が好きで買っていただいているお客様が大半なので、「雫」以外の作品を作ってもあんまり売れないんですよね。だから、 仕事としては「雫」が中心になるのは仕方のないことなのですが、そればっかりだと飽きてしまうので。自分としては、「雫」以外の作品を作る時間を増やしていければと思っています。

 

写真/大崎 安芸路(Roaster)  取材・文/阿久澤 慎吾(Roaster)

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