焼き物好きの間で知らない⼈はいない「やちむん」。
「やちむん」とは、沖縄で「焼き物」を意味する言葉です。
コロンとした厚みのある形や、沖縄の海や自然を切り取ったような鮮やかなカラーリング、唐草や魚モチーフなどのおおらかな柄付けが特徴的。日々の食卓に彩りを添える、地元で長年愛され続けている手仕事です。
そんな「やちむん」を作る壺屋焼の窯元として 50 年近く続く「陶眞窯(とうしんがま)」の2代⽬、相⾺⼤作さんにお話を伺いました。
相⾺⼤作(そうま だいさく)さん プロフィール
1982 年⽣まれ、沖縄県出⾝。⼤学卒業後、会社員やサンフランシスコへの留学などを経て、2004 年から⽗であり窯主の相⾺正和(そうま まさかず)⽒より陶芸を教わる。2020 年からは⼯場⻑として、陶眞窯の経営や⼈材の育成など、窯の運営に関わるあらゆる事業に従事している。
壺屋焼とは
沖縄県で⽣産されている、300 年以上の歴史をもつ陶器。上焼(じょうやち)と荒焼(あらやち)に分けられ、上焼は釉薬をかけて約 1200 度の⾼温で焼かれたもので⽇⽤雑器が多く、荒焼は釉薬をかけず 1120 度前後で焼きあげられたもので、酒甕、⽔甕類などが多い。明治維新後、⼀度は存続の危機もあったものの、⼤正時代の⺠藝運動を通して全国に知られるようになり、今⽇に⾄る。
作るうちにハマっていった、陶芸の道
沖縄県読⾕村(よみたんそん)に位置し、焼き物ファンの聖地とも⾔える「やちむんの⾥」から⾞で5分ほどのところに陶眞窯はあります。初代であり従業員のみなさんから「親⽅」と呼ばれる相⾺正和さんが、1975 年に開窯しました。
「親⽗(正和⽒)が、那覇にある育陶園(いくとうえん)さんで 3 年ほど修⾏してから独⽴して、もう 50 年近くですかね。始めは恩納村(おんなそん)でやっていたんですが、読⾕村に移動してきて。そのタイミングから陶眞窯と⾔っているようです」

そう語る⼤作さんは陶眞窯の2代⽬ですが、学⽣の頃や⼤学を卒業した直後は、旅⾏関係の仕事をしていたとのこと。
「⼤学時代は添乗員のアルバイトをしていました。卒業後もそのまま添乗員の仕事をしていましたね。海外の添乗も⾏きたかったけど、まずは留学ということで、3 ヶ⽉だけアメリカに。留学から帰ってきたけど仕事はないし、ここ(陶眞窯)でバイトしようと⼩さなシーサーの作り⽅を教えてもらって。そこからちょっとずつハマっていった感じですね。親にはあまりやれとは⾔わなかったので、⾃然と作るようになっていたという感じです」
職⼈として働いたからこそ芽⽣えた「経営者」のまなざし
窯に⼊って 5 年ほどは「経営のことはよく分からなかった」という⼤作さん。しかし続けていくうちに「この値付けはおかしい」など経営に関する疑問を持つようになったと⾔います。

「親⽗はモノづくりは好きだけど、経営的な視点はあまり持っていなくて。最初はここにショップがなかったんです。お茶の道具とか親⽗の作品がたくさん並んでいるだけで。それで那覇にショップを借りたけど、家賃もかかるしなかなか上⼿くいかず。それで『ここにお店を作る』という話を、親⽗と喧嘩しながらも進めていきました」
そうして、窯にショップを併設。ここで、実際に作品を手に取って購入できるようになりました。

「他にもカフェキャラリーを⽴ち上げたり窯を法⼈化したり。経営だけをしたいわけではないですが、必要性を感じて「経営もやっていかなきゃ」という気持ちが徐々に芽⽣えていった感じですね。親⽗のようにとにかく作品を作るというよりは、器⾃体を作るのと⼈を育てるのも好きなので、今の⼯場⻑としてのポジションが合っている気がします」

敷地内にあるカフェギャラリー「ぐんじょう」。陶眞窯で作られた器での⾷事や、商品購⼊が可能。窯で焼かれたピザが絶品!
親⼦に受け継がれる「作ったことがないものにも挑戦する姿勢」

様々な⼯夫をしながら続いてきた陶眞窯は、現在ではパートさんも含めて 30 ⼈ほどの従業員を抱える⼤きな窯元となりました。
「窯を続けていくうちに、⾊々な⼈が来てくれるようになりました。1 年に 1 ⼈ずつくらい増えている感じです。中には独⽴する⼈もいて、これまでで 30 ⼈くらい独⽴しているんじゃないですかね。この 5 年ほどでも 10 ⼈近くが独⽴している。沖縄だけじゃなくて、海外の⼈もいます。今もイギリス⼈が 1 ⼈いて、⾯接の時は⽇本語が話せませんでしたが、ちょっとずつ⽇本語も覚えてきて、頑張ってくれています」


そのようにして増えてきた従業員の皆さんは、ろくろを回す⼈、器を焼く⼈、絵付けをする⼈…など⼯程ごとの分業制で働いています。それぞれの持ち場で熟練の技をふるっていますが、中でも⽬を引くのが⼦どもが⼊れそうなサイズの⼤きな甕!
こちらは、泡盛⽤の甕。このサイズの甕を作れる職⼈は限られているそう。

こちらはショップにある親⽅の作品。特許を取得している「マグマ釉」という、オリジナルの釉薬を使った器などが並びます。

「『作ったことないもの』にも挑戦するというのが、親⽗のスタイルというか⽣き⽅で。⼤きな壺や甕も最初は作れなかったのですが、酒造メーカーから発注があった際に『できる』と⾔って、⼀⽯甕※(いっこくがめ)くらいのサイズを 300 本作ったんです。200 本くらいは失敗して、400~500 本くらい作ってやっと納品した。それが 30 年前とかですかね。今でもなるべく注⽂は断らないようにしています」
※⼀⽯=100 升=180L

多種多様な注⽂に応える陶眞窯を⽀える窯。3 基の窯を稼働して、なんと週に 2 回ほど焼き、⽉に約 3000 個を作っているそう。
「壺屋焼は伝統⼯芸に指定されているので、それにのっとった釉薬作りも昔からやっています。でもどうしても普段使っていない⾊を頼まれた時は、ゼロから釉薬と⼟を作ってオーダーメイドで作ることもありますね。その時作った⻩⾊のタイルは『ポーたま』※というチェーン店の内装として使われています」。
※沖縄のソウルフードである「ポークたまごおにぎり」の専⾨店。
100 年後も「壺屋焼」の窯元として続いていくために
ショップやカフェの経営にコラボ対応など、作陶以外の活動にも精⼒的に取り組む⼤作さん。そこには陶眞窯や壺屋焼への、ある想いがありました。
「100 年後も壺屋焼の窯元として焼き物を作り続ける、という理念があります。そのためのアクションを⾊々としていきたい。壺屋焼の組合の集まりに出席することがありますが、どこも後継者不⾜の問題があるので、⾃分たちだけでなく、どうやって 300 年以上の歴史がある壺屋焼を残していくのか、考えていかなきゃいけないなと思っています」

⼼踊る鮮やかな唐草模様のお⽫たち。ろくろを使える職⼈は 10 ⼈ほどいるため、「(作る⼈によって)個体差が出ないように、同じ物を作るのが難しい」とのこと。だからこそ「技術を⾼めてくれる部分でもあります」 と⼤作さん。

こちらは、⼤作さんオリジナルデザインの器のサンプル。「(唐草のデザインをしている)親⽗もいい年なので、唐草模様だけに頼らないように」と考案された。⽩い部分はサトウキビの燃えカスを原料にした釉薬、中央はマンガン釉でどちらも沖縄産の伝統的なもの。
「年に 1 回、地元の⼩学校で陶芸体験を⾏ったり、ここで体験や⼯房⾒学を頻繁にやったりしているのですが、それがきっかけで「ここで働きたい」と思う⼈が来てくれることもあります。⼯房⾒学で実際に作っているところを⾒てもらうことで、器の付加価値を⾼められたらという狙いもありますね」
取材時にも、⼯房には陶芸体験や⾒学のお客さんで賑わっていらっしゃいましたが、体験を始めた当初は⽉に 1~2件ほどだったそう。現在のように多くの⼈が体験や⾒学に来るようになったのは、きっと絶え間ない試⾏錯誤があったからこそ。そして続けていくためのアプローチは、お客さんだけでなく、⼀緒に働く⽅々にも向けられています。

「最近では僕が抱えていた仕事を分担するために、中堅スタッフにリーダーの役割や権限と、それに⾒合った報酬も与えて、⻑く働きやすい仕組みを作ろうとしています。なるべく⽣涯現役でいたいと思っていますが、⾃分の⼦どもや、あるいは他のスタッフなどに受け継いた後も、100 年続いていくような環境になれば良いなと」
それぞれの持ち場でストイックに器作りに励みながらも、どこか柔らかな雰囲気の漂う陶眞窯。そこには 100 年後にも残していきたい、⼼がパッと華やぐ器と、そこで働く⼈たちの笑顔がありました。
写真/藤井由依 取材・⽂/⼩野光梨

