沖縄の太陽が眩しく降り注ぐ読谷村。この土地に深く根を張り、地元の土と登り窯の薪の炎とともに作られてきた焼き物が「やちむん」だ。
読谷村にある「読谷山焼 北窯(きたがま)」は、1992年、各工房で修練を重ねた宮城正享、與那原正守、松田米司、松田共司という4人の親方たちによって開窯された共同窯だ。各自が同じ敷地内に独立した工房を構え、土の採掘から薪割り、13房に及ぶ巨大な登り窯による窯焚き、窯の修繕に至るまで、すべてのプロセスを沖縄の自然の恵みと職人たちの肉体労働によって循環させている手仕事の現場である。
その創設者の一人である「松田米司工房」の親方・松田米司を父に持つ陶芸家・松田健悟。
陶芸の世界に入り約15年、真面目に、愚直に技を磨いてきた彼の東京での初の個展が、今回IEGNIMで開催する「無地と唐草」だ。伝統を受け継ぎながら、技術の向上に向き合い続ける中で生まれた葛藤を抜け出し、彼がいかにして独自の美学へとたどり着いたのか。半生と作陶の真意を聞いた。
松田健悟(まつだ けんご) さん プロフィール

1991年 沖縄県読谷村生まれ。2010年高校卒業後、父 松田米司の読谷山焼 北窯 松田米司工房に入る。2019年 工房の仕事の傍ら個人の作陶を始める。2020年からグループ展や個展、日本民藝館展に毎年入選するなど活動している。
https://www.instagram.com/kengomatsuda0425/
北窯を遊び場にした幼少期
彼にとって「やちむんの里」の奥にある北窯は、幼少期からの遊び場でもあった。隣接する工房の子どもたちや、いとこ達(父・松田米司親方の双子の兄弟である松田共司親方の子)とともに、北窯の敷地内を駆け回る日々を過ごしていた。

「工房のまわりには道具がたくさん転がっていたので、薪をノコギリで切ったり、金槌で釘を叩き込んだりしていました。当時は、父がろくろに向かって器を作っている姿を特別意識して見るようなことはありませんでしたね」
クリスチャンである彼は、教会のコミュニティで繋がりのある年上の友人たちと過ごす時間も多かった。
「学校は勉強しに行くところという感覚で、出勤するみたいな感じでした(笑)。だから学校の同級生と放課後に遊ぶことはあまりなくて、プライベートは教会の年上の友だちとつるんで遊ぶことが多かったです」

のびのびと過ごすなかで、将来にはどんなイメージがあったのか?
「何かひとつの道を極める仕事がしたいという気持ちが、昔からうっすらとあったんです。音楽が好きでベースを弾いていたので、スタジオミュージシャンのような生き方もいいなと考えたりしていました。サラリーマンとして働く自分の姿は、あまり想像がつかなかったのかもしれません」

転機が訪れたのは、高校3年の夏だった。周囲が進路を決めていくなかで、本当にやりたいことが見つからなかった。適当な気持ちで進学を選ぶくらいならと、ひとつの決断を下す。
「何がしたいかわからないまま適当に進学しても意味がないと思ったんです。現役で進学しなくてもいい、本当にやりたいことが見つかってから決めればいいやと考えていました。でも、やりたいことが見つかるまでの間、何もしないわけにはいかない。だから父に『やりたいことが見つかるまで、家業の手伝いをしたい』と伝えて、高校を卒業した2010年に工房へ入りました。絶対に陶芸家になってやるという強い決意があったわけではなく、ぬるっと踏み出した道だったんです」

▲お父様の松田米司親方と健悟さん
「そこまでやらなくても」と言われても――“技術の階段”と向き合う日々
松田米司工房に入門した彼を待っていたのは、近道などない、愚直な手仕事の日常だった。朝はラジオ体操から始まるのが、北窯の日常だ。そして8時半から夕方18時までは、土づくりや薪の整備、工房の雑務や先輩たちのサポートに追われる。定時を終えてから、ようやく自分のろくろ練習に向き合う時間が訪れる。
「20代の修業時代は、夜10時や11時まで残ってひたすらろくろに向かっていました。いくらやっても、寝れば翌朝にはすっかり元気になるくらい若かったから、とにかく打ち込みましたね。修業期間中は決められた形をひたすら作らなければいけなくて、自分の自由な制作はできません。だから息抜きとして、北窯や近隣の工房の修行仲間とバンドを組んで、オリジナル曲を作ってました。演奏することで、器に向けるのとは別の創作意欲を発散させていたのかもしれません」

技術向上は、決して平坦な一本道ではない。
「ろくろの技術って、ゆるやかな坂道のように上達するのではなく、ぐっと上がって、しばらく停滞して、またぐっと上がるという『階段状』なんです。この停滞期が一番しんどい。『前はできていたのになぜか作れない』という壁に何度もぶつかる。それでもひたすら向き合い続けていると、ある日突然ポッとできるようになる瞬間が来るんです」
結婚し家族を得たことで、夜遅くまで残る生活から日中に集中して結果を出すスタイルへと切り替わったが、今も理想の形を追い求め続ける姿は変わらない。

「性格は、真面目だと思いますね。自分でも細かいと思うし、まわりの人からも『もういいんじゃない?』『そこまでやらなくてもいいのに』とよく言われます。人に対してはおおらかでいられるんですけど、自分のこととなると気になるポイントがありすぎて、直せるなら直したいと思ってしまう。ろくろを回すときの力加減だったり、内側の力が強い方がいいのか、外側が強い方がいいのかとか、そういう細かいことを繰り返し検証し続けるんです」
決して口数の多いタイプではない。けれど眼差しからは、ものづくりに対する深い熱量がたしかに伝わってくる。

「今は『こういうものが作りたい』と思ったとき、自分の体とイメージとのギャップがどんどんなくなってきている感じがしますね。昔はイメージだけあって、技術がついてこなかったんですけど、いまは初めて作る形もある程度一度でイメージに近づけることできるようになった気がします」
誰かに見せるためのポーズではなく、器に対しても、自分の生き方に対しても、どこまでも誠実でありたい。その愚直な姿勢が、彼の指先から生まれる器に凛とした気品を与えている。

「”沖縄らしさ”とは?」他産地との出逢いに教えられて
修業を重ねて15年以上が経ち、ひとつの壁に突き当たった。日本各地の民藝の産地や作家たちと交流する機会が増えるにつれ、「自分の作っているものの軸はどこにあるのか」という自問自答が生まれたのである。
イベントで、小鹿田焼はじめ各地の職人たちと互いの技や造形について語り合った際、ある強い感覚を覚えたという。
「ほかの産地の作家さんたちが『この形が綺麗だね』『このバランスがいいね』と評価し合うポイントに、正直、僕自身があまり共感できなかったんです。目指している形や、美しさの基準となるバランスが、産地によって根本的に違っていたんですよね。他産地の先輩から『もっとこうしたらいい』とアドバイスをもらうこともあって、『そうなのかな』と試してみたりもしたんですが、作っていて全然しっくりこなかったんです」

その葛藤のなかで、心にひとつのシンプルな問いが浮かび上がった。
「じゃあ、自分にとっての沖縄らしさとは何だろう?」
「そのとき、ハッと気づいたんです。たとえば小鹿田には小鹿田の目指す美しさがあるように、沖縄には沖縄独自のバランスがあるんだと。無理に他産地の基準に合わせたり、しっくりこないまま誰かの意見に寄せたりする必要なんてない。『自分はやっぱり、沖縄のやちむんが大好きなんだ』と心から思えた瞬間でした」
目指す「沖縄らしい器」とは何か。その答えを、父・米司親方から教わった言葉を借りて話してくれた。
「うちの親方がよく言うのですが、沖縄の器には『しっかり地面に足がついている感じ』があるんです。それを沖縄では『頑丈美らさ(がんじゅうちゅらさ=丈夫なものが美しい)』と表現します。都会的に洗練された美しさとは違い、鍬を持って力強く畑に向かう女性の姿が美しいとされるような文化が沖縄にはある。飾るための美ではなく、道具としてどっしりと働き、生活を支える頑丈で美しい姿こそが、沖縄らしさです」
自身が美しいと感じるルーツ――琉球王朝時代や江戸時代の古いやちむん、そしてシルクロードや東南アジアから流れてきた大らかな造形美。それらと素直に向き合うことで、迷いは完全に吹っ切れた。

16年目にして挑む「無地と唐草」――装飾を削ぎ落とし、形で勝負する覚悟
自らの軸を確立した今、彼が個展のテーマとして打ち出したのが「無地と唐草」である。
「自分が器を作るときに大切にしているのは、形と、その器が持つ空気感、雰囲気とか、印象みたいなものなんです。江戸時代や王朝時代の焼き物で好きなものがあって、ずっとそれに近づきたいと思って追求してきました。コピーするんだったらできるかもしれないけど、雰囲気や存在感を似せるって、果てしないんです。なぜ自分がそういう印象を受けるのかを研究している感じですね。

▲健悟さんが追い求めている古の器
「古いやちむんは、現代の器のようにカラフルではなく、焼き締めやお椀のように色味が削ぎ落とされた、静かな佇まいをしていました。実はこれまでは、スキルの自信のなさから、色や絵付けの華やかさに助けられていた部分があったんです。でも陶芸の道に入り16年目を迎えて、ようやく『自信を持って形で勝負します』と言える気がしています」

いまこそ造形美で挑む「無地」。そして、もう一つの象徴である「唐草」もまた、彼らしい身体感覚によって生み出される。
「唐草を描くときはリラックスして草を生やしている感じなんです。自然の植物の葉っぱに、ひとつとして同じ形がないのと同じで、最初の一筆からその場の感覚でバランスを取って描いていく。『同じものを描くけれど、全く同じにする気はない』という生命感のあるゆらぎを楽しんでいます」

一見すると、削ぎ落とされた「無地」と、躍動する「唐草」は対極にあるように思えるが、彼のなかでは「生地を綺麗に作り、器の形を美しく整える」という揺るぎない一本の芯で貫かれている。土台となる造形が凛と立ってこそ、無地の静寂も、唐草の生き生きとした筆致も生きるのだ。
1992年に4人の親方たちが立ち上げ、全国にその名をとどろかせてきた「読谷山焼北窯」。次世代のリーダーとして北窯を背負う立場となった。
「親方たちが人生をかけて作ってきた人間関係や共同体のバランスを、そのままそっくり次の世代が引き継ぐことは不可能です。親方たち自身も、自分たちが修行先で出会った風景を見て『自分たちならどうするか』と再構築して北窯を作った。だから僕たちの世代も、次のメンバーが揃ったときに、自分たちの時代に合った理想の共同体をゼロから再構築していきたいと思っています」
未来を見据える彼の目は、どこまでも澄んで、たくましい。

写真・伊舎堂潤一 編集/文・藤田華子
【松田健悟さん 個展開催のお知らせ】
10月11日(日)より、沖縄 読谷山焼北窯 松田健悟さんの個展「無地と唐草」を開催いたします。

沖縄の豊かな風土のなかで作られてきた「やちむん」。読谷村の伝統的なやちむん・読谷山焼の各工房で修行を重ねた4名の親方によって、1992年に開窯されたのが「北窯」です。
その創設者の一人である父・松田米司親方のもとで、約15年間にわたりひたむきに土と向き合い、技を磨いてきた松田健悟さん。彼が今回の個展テーマとして掲げたのは、「無地と唐草」でした。
健悟さんが目指すのは、琉球王朝時代の器が持つ、しっかり地面に足のついた頑丈で美しい姿。
その造形美を追求しながら、リラックスして草を生やすように描く沖縄の伝統柄「唐草」。
あえて装飾を削ぎ落とし、静かに形で勝負することに挑んだ「無地」。
希望を持ち日々の生活を慈しみたくなる、あたたかさを放ちます。
会期中は、無地、やちむん以外のラインナップも並びます。
健悟さんが手がける、今の彼だからこそ生み出せるやちむんの景色を、どうぞお楽しみください。
松田健悟よりーー
僕は琉球の焼き物が好きです。歴史上においていろいろな国との交流から生まれた文化の中で出来上がった形や雰囲気があるからです。
無地を基礎に絵付けを施す仕事というのは反復作業量で結果が変わると思っています。焼き物の世界に入って約15年、琉球の焼き物に倣った僕なりの形と絵付けが出来てきた気がします。
【会期】
2026年10月11日(日)〜10月18日(日)
※営業日:10月11日(日)、12日(月・祝)、16日(金)、17日(土)、18日(日)
最新の営業日時は、公式Instagramをご覧ください。
@iegnim_
※作家在廊予定日:10月11日(日)、12日(月・祝)
※10月11日(日)19時〜
松田健悟さん×寺田燿児さん
スペシャルトークイベント「陶芸家とアーティストの生活と表現」開催!

詳細はこちら
https://iegnim.com/products/talk1011
※展示会開催前に混雑が予想される場合には、整理券を配布し人数を制限させていただくことがございます。
※商品のお会計はキャッシュレス決済のみとなります。